今回は、昨日書いたアフター5についての記事で「続きはまたの機会に!」と紹介させていただいた記事になります。
アフター5の記事にて記載しました内容の一部を、いまいちど以下に紹介します。
基本的に皆きちんと5時とか6時といった定時に帰ります。
上司・課長・※駐在員・・・管理職の皆さまも全て帰ります。
もちろん、課長だけ毎日夜10時まで残っているなんてこともありません。
16時半には業務は終わって、締め作業。17時には帰るのが理想のワークフローです。
定時ジャストに上がっても、気まずい感覚は皆無で、むしろそれを皆が目指しています。
(※ただ、駐在員の方は週数回程度、時折のこっていることがありました。
しかし、どんなに遅くとも8時程度だったと思います。)
わたしも、何かあるとき以外は基本的に定時で帰っていました。
なんで、みんな定時であがれるの?
今回はその理由の一端を紹介しましょう。
管理職はきちんとマネジメントする
管理職の役割
管理職の役割は 限りあるリソースを使って、いかに最大限の成果をもたらすかになります。
この「最大限の成果」を達成させるのに、不可欠な要素がいわゆる「マネジメント」です。
マネジメントこそが管理職が管理職たるゆえん。以前の記事にもご紹介いたしましたが、役割=ポジションです。
「管理」を英訳するとそのまんま「マネジメント」なので、何を当然の事をと思われるかもしれません。
ですが、いわゆる「日本的管理職ポジション」においては、必ずしもマネジメントスキルの充実が伴わない傾向があるようです。
以下に参考リンクをご紹介いたします。
グローバルリーダーシップ研究所 beyond
高品質・低生産性-日本人管理職のマネジメントにみる日系企業の課題-
(https://globalleaderlab.com/japan_management)
こちらは、海外進出の日系企業における日本人管理職のマネジメントスキルを世界基準から評価したものについて第一に述べられていますが、
後半に、日本~のマネジメントが低生産性に終止してしまう原因について深い考察が述べられています。
定時オーバーはマネジメントミスの証左
正常にタスクが進んでいるならば、4時半前後には予定されていた業務が終了。
締め作業をこなし、5時(定時)にオフィスを出るのが通常のワークフローです。
皆、定時に仕事を終わらせる時間感覚で動いています。
もし定時を過ぎて残っている社員がいたら……
例えば、とある部下が15分ほど残っている状況が、週1回程度発生したとします。
その場合は、
「ディーラーとの電話が多少長引いたのかな?だいじょうぶ?」
というふうに、ちょろっと声を掛けるぐらいです。
しかし、そんな状況が一週間も続いていたら、
「最近めっちゃ残ってるけど、だいじょうぶ?」
と、いよいよマネジメント側はこの状況を異常事態と認識し、対策に腰を上げることになります。
定時15分オーバーでも、それが一週間も続けば、すなわちマネジメントミス
「この状況は何かが上手くまわっていない……?」
と、強く疑われます。
このような状況が発生した場合、後ほどミーティングで調整され、
その部下が抱えているタスク総量の再確認・どのような仕事にどのくらい時間を使っているか・優先順位についての考え方など、詳細にヒアリングして状況の改善を目指すことになります。
管理職は基本的にマネジメントに専念すべきものという姿勢がある
日本での管理職は、部下のマネジメントと同時に、管理職自身もオペレーションに関わることは、割とよく見る光景だと思いますし、それが一般的とされる事も多々あると思います。
上司(管理職)が、もう1つ上の上司(管理職)からタスクを割り振られ、それを部下に指示すると同時に、自分もそのタスクを実行するといった光景です。
実はオーストラリアでこそ、管理職がオペレーションに関わることがありますが、それは基本的に避けたいものであるという認識があります。
そういった事態が発生した場合、彼らは「本来オペレーションは管理職の役割ではないと認識」し、
「そういった状況にしないようにはどうしていけばよいのか?」を考えます。
管理職は、マネジメントに専念してしかるべきもの。
それが出来なければ、なにか異常がある。改善しなくてはいけないところがある。
という意識が根底にあります。
また同時に、このような意識はオーストラリア流の正論を大切にする文化に裏打ちされたものだと思います。
このケースにおける正論を補足しますと、
・雇われる側は、契約書に書かれた通り(=定時通り)に働くという正論。
・マネージメント側は、管理するのが仕事である、すなわち労務管理も含まれるという正論。
と推察されます。
盲従は必ずしも美徳とされず、意見することが求められる。
オーストラリアでは、プロジェクトの際、管理職が上部から請け負うであろう(後に彼が部下に割り振る)タスクについて、そのタスクが現在保有しているリソースから実行可能であるかどうか判断します。
もしそれが合理的なボリュームでないとするならば、実行可能な形態まで調整することは普通のことです。
日本では、状況に関わらず100%のフィージビリティを謳い(=ノーと言えない)、
リソースが不足しているならば、なんらかの形でリソースの限界を拡張させるといったケースも多いと思います。
また、管理職と部下の間で
「これぐらいの分量を、このタイミングまでにやってください」
というのは、オーストラリアでも、もちろんあります。
しかし、部下にも「ノー」と言える選択肢があるので、そこに意見を述べることが可能です。
もし部下が、どうしても残業が必要になりそうだという状況を予期していたなら、
「今月はもう既に納期がせまっているタスクAがあり、緊急対応のタスクBもあいまって、このタスクCについては、どうしても残業になりそうなのですが……」
といった彼自身の考えをきちんと言います。
そして、残業したいかどうか、それは(本来は)彼自身がきめるものです。 (本来……というのは、さすがに 「残業したくないから嫌です」 という人は居ませんでした。会社総体としての利益について無関心であるわけではないのです。)
しかし、マネジメント側としては、一定の成果物は期限にあわせて出さなければいけませんので、そこで管理職と部下、互いの妥協点をすり合わせて行くことになります。
限られたリソースで最大限の成果とは
このトピックに関し、より掘り下げて紹介いたします。
投入する労働力と成果物のバランスを適切に判断している
これは本当に、良くも悪くもオーストラリアの考え方。あちらでは9割強で十分という相互認識があります。
相互認識・・・つまり、相手も必ずしも100%のものを求めているわけではなく、9割強のもので足ると考えています。(案件により100%が求められる場合を除く)
7割→9割強までの労力と 99%→99.5%にする労力は同程度ということを認識して、成果物と投入労働力の理想的な割合を選択しているのかもしれません。
基本的に、オペレーションの遂行にあたり、
「時間の投入量に対してどの程度の成果物ができるか?」
「このタスクのゴールの基準を満たすにはどの程度の完成度が必要か?」
というリーズナブルな考えを、上司意も部下も持って仕事を進めています。
このような、必ずしも常に100%である必要ではないという思想が、
案件による完成度のコントロールし、もっとも効率的で合理的な地点にゴールを置くことに繋がっています。
リソースは有限であり、その上で最大限の成果物を得る。という認識が、こういったバランスを生みだしているのだと思います。
効率追求の結果である【テンプレート】
なにも全ての成果物にアーティスティックなこだわりを持つ必要はなかったのです。
莫大な時間をかけ、案件ごとに徹夜でカスタムメイドした資料は生産性という面からいうと、必ずしもポジティブではないのかもしれません。
あちらでは、テンプレートを多用した成果物の作成に理解が示されています。
配慮が必要なパターンでも、テンプレートを多少改変するなどして対応していたこともありました。
日本的感覚だと・・・
「テンプレ?手抜きだ!心がこもってない。気合が足りない。熱が入ってない!」
と考えられる方もおられるとは思いますが、ここで、興味深い記事を一つ紹介いたします。
「~前略~
親や友人への手紙ならともかく、ビジネス文書は心を込めてゆっくり書いてはいけない。必要な事項を、ムダなく、的確に伝えるのが仕事の本懐だからだ。では、どうすべきか。手間を省くためには、ビジネス文書のすべてにテンプレート(雛形)を用意することだ。筆者の元上司も語っていた。「仕事の90%は似かよっている。テンプレートを作って効率化すべきだ」と。」(P.1より)
DIAMOND online 「仕事ができない人の「やることリスト」はなぜ多いのか?」
(http://diamond.jp/articles/-/161868)より引用
そうです、芸術作品を作っているワケではないのです。
そんなこんなで、皆、定時に帰ることができていました!
まとめ
・定時に対する価値観の違い
・管理職は部下を定時に帰らせる時間感覚でマネジメント
・リソースは有限と認識。その上で成果物を最大限にというマインドセット
・ノーと言える(意見することができる)文化
いかがでしたでしょうか?
そういえば、プレミアムフライデーはどうなったんでしょうか。
一過性の話題に終止というわけでなく、幅広く普及していけばなあと思います。
ではまた!